ずずずです。
私は九州出身で、片田舎で生まれ高校卒業まで生活してました。
祖父はすでに他界しており92歳でこの世を去りました。
私が青森に出張しているときのことで、朝早くに親から連絡があり急遽九州へ帰ることになったのを今でも覚えております。
もう10年以上も前の話。
金曜日にいつも通り仕事をし、土曜日にゆっくり東京へ戻ろうと考えていたのですが、何故か朝早く目が覚めてしまい、空港に向かっているときでした。
青森は雪が積もり真っ白な世界でしたが、いつもなら写真を撮らないのですが何故か写真を撮りたくなり青森駅をパシャリ。
ここから始発のバスに乗り、空港に向かってる途中で祖父が亡くなったとの連絡を受けました。
東北から九州へ午前中の間に移動できてしまう時代でよかったです。
実家に帰り聞いたところ、朝06時29分に私の両親と姉に見守られ息を引き取ったとのことでした。私が青森駅で何気なく写真を撮った時間が朝06時29分。。。
何かのお告げだったのかな。
祖父との関係
祖父母、両親、兄弟と同じ家に住んで大家族でした。
いつもが騒がしい家だったのを覚えています。
その中でも、祖父は毎朝幼稚園に送ってくれたり、買い物に連れて行ってくれたり、いつもお小遣いをくれる優しい人でした。
孫がかわいいといいますが、まさにその形だったと思います。
戦争に行っていた経験を聞いていたり、父の子どものときの話を聞いたり、昭和の時代など本当に今では聞けない話だったと思います。
エピソード1
私は幼稚園通いだったのですが、毎朝祖父が自転車で幼稚園まで送ってくれていました。
同居していたこともあり、すでに退職して時間があった祖父。
毎朝、幼稚園に行くときに嫌で泣いて困らせていたそうです。
仕方ないですよね。
雨の日も風の日も暑いときも寒い時も毎朝送ってくれた記憶だけはしっかりとあります。これがずっと続くと思っていたあの時はもうありません。
私も保育園に子どもを毎朝送りますが、体力的にもすごいなぁって今になって思います。
エピソード2
小学生の時に陸上クラブに所属していました。
子供の時は周り優秀で、県代表で全国大会へ出場したことがあります。この件を祖父は喜んで出場が決まったのと同時に近隣や友人に言いまわっていたそうです。
お葬式の場で「自慢の孫やわー、幸せだ」と会うたびにとてもうれしそうな顔でいつも言っていたと親戚のおばちゃんが話してくれました。
自慢の孫かぁ。実際一緒に過ごしていたときはそのような素振りは一切見たことなかったので、じいちゃんの思いに負けない人になりたいと改めて思いました。
エピソード3
大学夏休みで実家へ帰省していた時、お風呂の浴槽で祖父が溺れるという事件が発生しました。
夕方にいつもお風呂掃除をしていた祖父。
いつものようにお風呂掃除へ行ったのを見かけてしばらく時間がたったころ、「バチャバチャ」とすごい音がして、「うるさいなぁ」と思いお風呂場に見に行ったら溺れかけでした。
浴槽にはお湯が30cm溜まっている状況で、足を滑らせたのか頭から打ったのでしょう。額から血が出ていました。
今でも忘れないあの状況。
私は浴槽を見に行ったところ祖父が浴槽で溺れていました。
溺れている祖父を見て「やばい」と思った瞬間、祖父の顔がお湯の中に沈みグッタリしたところでした。。。
とっさに浴槽にはいり顔を掴み、お湯の中から顔を出し呼吸を確認し親を呼びました。
祖父は180cmあり、体重もそれなりにあるため意識を失った状態では1人では担げませんでした。
息はしていたので、気絶状態だったように見えましたが、救急車を呼び緊急搬送してもらいました。
無事、命に別状はなく3日ほどの入院で退院したので当時は安堵したものです。
今でこそ、思い出して話せますが、私が救急講習を受けたり、有事の際に動ける気持ちを作りたいと思ったのはこれがきっかけの1つですね。
子どもの時から一緒にいた祖父があんな状況を見て、日に日に弱っていく姿を見るのはつらいものがありましたね。。
そんなとこです。
人生何があるのかわからない
地方で生まれ、ぬくぬくと育ち社会人で東京という大都会で働くことができ、自分の家族を持ち1日1日過ごせています。
人の未来は1日先すらもわかりません。
祖父は戦争経験者として貴重な話を聞くことが出来ました。
家族とはいえ、一人の人間として生きたことを忘れないこと。
ずずずを育てた両親を育て祖父祖母。偉大ですね。
最後に
家族とは言え、個人が同じ家に住んでいることから個々の集合体であり、冷たい言い方をすると他人(個人)であるのは間違いない事実。
家族や兄弟といえ、同じような考えにはなりますが、全く同じ考えや環境にはなる人は少ないでしょう。
祖父は戦争を経験し、宮崎という地で一生を過ごしました。貯金が大好きで堅実だった祖父。
私の知らないところでたくさん苦労をしてきたことでしょう。
偉大なる祖父を私は忘れることはないのでしょうね。
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本当にたくさんの人に支えられて生きているなと思います。感謝していきたいですね